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王国の救い主(Kingdom Savior)(2016/8/28)

今日は「王国の救世主」というテーマでお話ししましょう。終末についての聖書の最大の警告は、偽の教師、偽キリストが現れ、自分がキリストだと宣言するというものです。それはキリストではなくむしろ反キリストです。もちろんこのことは家庭連合でも起こりました。教会で現実に起きたことです。サン・フランシスコ(ブラジルのプロの格闘家、真のお父様の警護をしていた)について以前お話ししました。彼はお父様の最後の一年間に主要な警護に当たっていました。サン・フランはすごい証をここでしました。あばら骨を三本、片方の鎖骨も一本折り、21日間入院する怪我を負いながら勝負に勝った証です。

その彼がお父様の聖和後、久しぶりに教会に行って「ここは一体何の宗教なのだ」と戸惑ったというのです。違うものになっていたといいます。面白いことに、郭グループの一員らしき者の書いた「統一教の分裂」という韓国で出版された本のなかにもあるのですが、(著者は)一応外部の人間のようですが、内容から見ると郭グループからお金をもらっているようです。何千億と盗んでおきながら何も悪いことなどしていないなどと主張しています。お父様を見事に背信しておきながら。そのような外部の人間ですら「韓オモニが全く新しい宗教を作った」と結論付けています。いまや全く別宗教になりました。私たちはお父様の聖和後、韓オモニの抱くイデオロギーと信条の全貌を図らずも知ってしまいました。(お父様が聖和されるという)厳しい状況の続く中で、あるいは病院でそれは徐々に明らかになっていきました。

お父様の祝福を受けた、私と国進兄さんのお父様の位相についての認識、すなわちお父様はメシア、王の王、再臨のキリストであられること、この認識は揺るぎないものでした。これに韓オモニは非常に腹を立てたのです。ここに大いなる憤りを感じたのです。病院での話ですが、もう既にこの頃までには私達はマークされ、牽制されていることを感じていました。追い出そうとする気配を感じていたのです。この照準を定められる感覚が分かりますか。

当時、この事実(韓オモニの抱くイデオロギー)は韓オモニとその最側近しか知る者はいませんでした。私たちはそこに直に切り込んでいくほかありませんでした。なぜなら、お父様が予言されたように、ここでの選択が祝福か審判かという世界の運命を決めるからです。

そして王杓を手に女皇帝として登場するオモニの姿を目の当たりにしました。私はオモニの中に揺らぎを見ました。オモニの良心の葛藤を見て取ることができたのです。王杓を手にしながらも非常に不安定でぎこちない感覚を受けました。しかし取り巻き連中はオモニに勢い込んで王杓を持つように勧めました。黄金の王杓を手にする姿を見せることで世界の注目を引くと考えたのでしょう。そこにオモニは乗りました。

既に天聖経改編委員会を作った時点でお父様を冒涜していました。決して触れるな、霊界に行ったとしても永遠に訓読しなさいとまで言われた天聖経です。そして異端の赤表紙天聖経を作り出しました。

それはすべてお父様のみ言葉だと彼らは言いますが、実はそうではありません。オモニの思想をしっかり紛れ込ませています。家庭連合の崩壊と共に、多くの人々が目を覚ますようになりました。神の祝福のもとに歩んでいないという現実に否応なく直面させられるからです。教会に行ってもそのたびに惨めな思いをするからです。中心を失いました。焦点が定まっていないのです。相対主義に陥り、二世はこの世の波に飲み込まれています。

社会文化、世間の問題とまともに戦うこともしません。自分達が世間に染まっているからです。億というお金を使って大きな行事を催しても、お金をつかませてVIPを招くなど、そういうところに大金を使っているのです。そして「平和、平和」と叫んで満足して家に帰る、そういう相対主義者になり果てたのです。誰も善の側に立って悪に立ち向かおうとはしません。悪の側に立っても相対主義者ですから、何でも「愛する」のです。つまりサタンでさえ受け入れるというのです。

その行事(家庭連合の基元節)の後、天正宮の一室であの信じられない体験をしたのです。国進兄さんがオモニに「イギリスの王妃のように、王が祝福した息子を王として受け入れ、それを敬うべきではないですか。そして尊厳ある慈愛に満ちた母としてお父様の決定、すなわち天一国についての決定に敬意を払うべきです」といった言葉に対して、ありったけの大声をあげて「私は絶対権力を持っている!」と叫びました。まさに悪夢としかいう他ありません。生まれてこの方、そういう場面を見たことがなかったからです。そのときオモニが悪霊に掴まれている事実を知りました。

そのとき知らなかった事実もいま漏れ聞こえてくるようになりました。お父様の聖和の年、2012年の1月にお父様に内緒でカルト的行事を行ったというのです。別の霊的人格と結婚し、一つになる式典です。サタン的霊、もしくはサタンとの結婚式です。そのことを知って初めて、オモニが形相を変えて「絶対権力を持っている!」と叫んだ理由が腑に落ちました。完全に狂気としかいいようがありません。

もちろん、自分がメシアであり独生女であると言い出したことも完全に異端の行状です。普通のキリスト教の信徒でもそれが1億パーセント異端であることが分かります。そこまでいかずとも聖書を読んだことのある人、キリスト教牧師のビデオを一度でもネットで見たことのある人ですら、それ(独生女発言)が1億パーセント異端であること分かるというのです。それをまともに受け取るのは、何でもありのどうでもいいニューエイジの相対主義者、ルーシェルを崇拝することもエホバを崇拝することも同じだという考えの持ち主くらいでしょう。

このようにして韓オモニはバビロンの淫婦となり、最後の日に道を外れたのです。そして神々の門を開きました。自己崇拝の門を開いたのです。王杓を手にしたあの時点では、オモニはまだ自分が独生女、再臨主、再臨のキリストだとは言いませんでした。

独生女はちょっと問題です。再臨主は花婿として来ることになっているのですが、女性の花婿が世界中の花嫁を迎えることになればレズビアンのイエスになってしまうではないですか。

その後、玉座に平然と座るようになりました。これはとてつもない冒涜行為です。とくにアジア文化では例えれば誰かの棺桶に小便をかけるに等しいほどの冒涜です。

歴史において独裁者が常にそうであるように、オモニに意見し、神様のみ言に従うようにと諭す者は周りに誰もいません。そこからあらゆる改ざんが台風の渦のように起こって来ます。四位基台の主体対象の位置を逆転するということもありました。歴史に登場した独裁者が例外なくとってきた策をここにみることができます。過去の世界征服を目指したものたちを見て下さい。イスラム帝国、ローマ帝国、それが何であれとにかく神様の創造された「家庭」という仕組みを壊そうとします。

聖書でも神様は男を創造し、一家の主となるように定められた。そしてキリストに従う頭(かしら)となり、妻はその権威に従う。これは決して奴隷になれとか資産になれという話ではありません。神の家庭の秩序を体現するという話です。そして子供たちを神の目に適う様に教育していく。

様々な社会学的評価を見ても、家庭での父親の役割は最も重要なものです。大きな政府や大企業に飼いならされた教会はすべて聖書を真剣に教えません。むしろ人々の耳に心地よいことだけを語り、良い気分にさせてお金を取ろうとするのです。「献金したくなければしなくていい。来たくなければ来なくていい」などといっている教会はここだけでしょう。しかし私たちはみ言について説教しています!そうでしょう。ローマ帝国にしても他国を征服するとまずその男たちを殺して排除します。それによって女たちは征服者に屈するのです。そして政府がその寡婦たちにお金を与えて援助し、政府が子供を教育し、国家の奉仕者へと仕立て上げるのです。このような形の征服がサタン世界で常時行われてきました。こうして文明を破壊し、偽りの王に従わせてきたのです。

この(逆転の)四位基台の図表をみれば、原理に変更を加えたことは明らかです。お父様を相対化しました。家庭連合では夫も父親も敬わなくてもいい。女性の復権を高らかに叫んでいますが、間もなく一人ぼっちになるでしょう。聖書にはあるべき夫と妻の関係がはっきりと書かれています。夫はキリストが教会を愛するように無条件に妻を愛する。キリストが教会のために犠牲になり死んだごとく、夫は必要とあらば、家族のために犠牲となって死ぬのです。これが偉大な責任であるというのです。夫は家庭で権威をもつ者であると同時に、命を懸けて責任を持つ者です。フェミニストはこのことを理解していません。「私にも権力を下さい」。それでは家族のため命を懸ける責任を負うのか?「それは男の役目でしょ。権力だけ渡しなさい」。権力を持てばそれ相応の責任が生じるのです。何者かが王国を侵略してくるときは国民のため最前線に立って戦って死をも厭わないということです。部屋の片隅に隠れて「あなた、やっつけて!」なんていうことは許されないのです。

すべての征服者は男を殺し、女は性奴隷にしました。全く同じやり方です。そうしながら家庭連合は統一原理を削除・変更しています。だから原理を教えていないでしょう。ある教会の青年リーダーは「原理講義などなぜするのか」と上から言われたといいます。「あの人は原理を教えている」と誰かがいいつけたのでしょう。原理を教えるとクレームが出るのです。このような人たちは脳死状態のゾンビであるとしか言いようがありません。統一原理も摂理も何もかも分からなくなっているのです。それでいて聖書など価値がないとみなしています。統一原理は聖書の解説であり聖書から歴史を解読したものです。

こういう風にしながら、自分達の神学を出してきました。彼らには原理を教えることができない理由があります。原理を教えると自分たちの正体、すなわち姦通者、偽りの教師、詐欺師であることが白日の下に晒(さら)されるからです。

(韓鶴子の名が刻印された祝福リングを見せて)偽祝福のために用意された何千ものこの指輪。身につけなければ罰まで用意する勢いです。強制です。普通に脳細胞が機能している者なら、この指輪を見ればある結論が出るはずです。「韓鶴子」韓オモニの名だけが刻まれているのですよ。

家庭連合は「真の父母は一つ」「真の父母は一つ」と繰り返しますが、ここには「韓鶴子」だけです。「文鮮明」とはどこにもないのです。カルト的でない信仰を理解する正常な人は、これを何かの警鐘と受け止めなければなりません。また再び元に戻そうとする偽聖酒の問題があります。これからこれを飲む人はもはや自分から望んで飲んだことになります。なぜなら2年間の猶予期間、知る期間が与えられていたからです。(偽聖酒を飲むことは)真理の否定、真理への背信とみなされるでしょう。もはや、あなた自身の失敗です。言い訳できません。その個人の失敗になります。あなたの責任です。

完全な神聖冒涜です。サン・フランとも話したのですが、彼は事の詳細を知らないにも関わらず、ブラジル教会においても全く異様なものになったと感じたといいます。

サン・フランによれば、家庭連合は新たに独生女宣伝ビデオを作ったのですが、彼は、これは違う、自分はお父様の近くで警護員として逐一見てきたが、このような事実はないと言ったといいます。牧会者に向かって「この宣伝ビデオは一体何のつもりですか。自分はすぐ側(そば)で直接お父様を見てきました。これは事実と異なる。あなたは実際、直接お父様を見ていないではないか」と主張したといいます。

昨年、独生女宣言するのを目撃しました。「2千年のキリスト教歴史は独生女を迎えるためだ」と言い放っています。このような発表をする前に(幹部たちは)少しは冷静にチェックすべきではなかったでしょうか。少なくとも原稿をチェックすべきでしょう。

サタンはかくも愚かな馬鹿者です。「全キリスト教の基盤は独生女を見出すためのものであった。」これを繰り返し繰り返し語っています。3年前に私たちに語った内容を公に語り始めたのです。もちろん私たちは賛同しませんでした。「はい、それでいきましょう」とは言えませんでした。むしろ「お母様、あなたがこの道を押し進めすなら破滅に至るでしょう」と言いました。獲物を刈るライオンに狙われることになるのです。最近も430人の指導者を集め、同様のことを語っています。

アメリカの家庭詐欺連合は、現在の世界会長が来て、祈りの中で、英語で繰り返す「天の父母様」を活字にするときに削除しているのです。自分達も何らかの痛みを良心に感じるのでしょう。自分たちが詐欺行為を行っていると知りながら、最後の最後までお金を絞り取りたいのです。多くの資産を売り払ってまで!ボストン教会、ニューヨーカーホテル、ワシントン教会。彼らはお金を崇拝する両替商に他ならないのです。

そして食口には、自分は韓国人であれを知っている、これを知っているとのたまうのです。そして下手な英語で、アメリカ人こっちにきなさい、お金をやるからこういいなさい、ああいいなさいと指示します(笑)。そして娼婦のようなものたちがペコペコしながら言いなりになっています。話にもなりません。もはや詐欺師の本性むきだしです。誰もお前たちについていかないのだ。この愚かものたち。

倫理も良心も名誉も持ち合わせていない。ただ一つ持っているのは「自分」と血にまみれた指先から流れてくるお金だけなのだ。より多く手にしようとすればするほど、お前たちの前から遠ざかっていくのだ。そしてお前たちの家庭に呪いとして下されるのだ。愚かものたち。すべての血は血によって支払われるのだ。盗み続けることなどできない。それは大きな呪いとなってお前とその子の上に積み上げられる。

今は「天の父母様」に祈りを捧げているが、韓オモニは430人のリーダーの前でこういうことをいっています。「これからは『天の母』に向かって祈らなければなりません」。これは堕落したエバに祈ることです。神になろうと堕落した女性に祈ることではないですか。これは定義上サタンと一つになっているということです。

また祈祷の最後に「ナマステ」と言っていました。(訳注:善進様・現世界会長がよく使う)なにかかっこいいと思って使っているのでしょうが、まさしくヒンズー教ではないですか。以前ヒンズー教の男女神を見せましたね。私は仏教もヒンズー教も学びました。1年半以上前に「天の父母様」はヒンズー教の男女神のことであると言いました。今それを礼拝の主体に置いているのです。それは悪魔であり、かえって人々を真の神様から遠ざけるものです。

そして「ナマステ」です。「私の中の神様があなたの中の神様に挨拶する」ですって?もはや脳死です。

最近行われた行事のパネルですが、ただの宣伝として用いられ、扱われているお父様のお写真を見て下さい。まったくもって冒涜にもほどがあります。お父様の業績を削除変更し、自分の好きにして利益を上げる。地獄に真っ逆さまです。愚か者たちは喜んで崖を登ります。そこが地獄の入り口だとも知らずに。天国と地獄は本当にありますよ、皆さん。

自分は地獄でも構わないという人が時々いますが、一度この世の監獄生活を試してみるといいでしょう。あの世の監獄(地獄)をいう前に、まずこの世の監獄を試してみなさいと言うのです。永遠の監獄生活を想像する前に地上の監獄生活をしてみなさいというのです。それでも自分は地獄で良いというのですか。

この写真、お父様が手に統一マークの入った原理講論を持つお姿です。家庭連合は原理講論を何と隠しています。なぜ隠すのか。原理を教えてはならないから。原理を学ぶとお父様が再臨主であることがはっきりと理解できるから。四位基台を学べば、夫の位置、父の位置が大切であることが分かるから。それを相対化して足で踏みつけることなどできないことが分かる。父は家庭にとっての核ですから。

画像処理で意図的に原理講論を隠しています。これを教えてはまずいからです。これを単なるミスだとは言わせません。雲があえてここで原理講論のタイトルの位置まで上がって来ますか?ありえません。これが現実です。嘘をつき始めると、嘘を付き続ける他なく、嘘を重ねるうちにしまいにはそこから抜け出せなくなるのです。そのうち、中にいる人もそれに気づく日が来るでしょう。

家庭連合がどこに向かっているか明らかです。キリストから離れ、聖書から離れ、原理とお父様が残された八大教材教本、それらも脇に置きました。そうすることによって違う道を歩き出したのです。

神様に向かうか、神様から離れていくのかの道は二つしかありません。色々注釈を加えてもはっきりその二つしかないのです。自己を欺いてはなりません。イエス様は、「私は真理と生命への道だ、神様への道だ」とおっしゃいました。それ以外の道は反対に向かうしかありません。ここでルカ9章をみましょう。

ルカ9章 9:57道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。 9:58イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 9:59またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 9:60彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。 9:61またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。 9:62イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。

イエス様ご自身が「神の国を宣べ伝えるために私は来た」と仰っているにも関わらず、神の国の福音を説く教会がないのは不思議なことです。だからこそ原理がキリスト教徒にとって重要だというのです。「イエスは十字架で死ぬために来られたのではない」と言うと、キリスト教徒は教派に関わらず、我々はそう教えられた、神学校でもそう習ったといいます。ではイエス様は真実なお方ではないというのですか。

イエス様は、ご自身の口で「私が来たのは神の国の福音を宣べ伝えるためである」と仰っておられるのです。繰り返し繰り返しそう語っているのです。これまで何度も示してきました。たとえキリスト教徒が否定しようと異端だと叫ぼうと、聖書に向き合えばわかることです。聖書のどこにも「私は死ぬために来た」とは書いていません。「神の国の福音を宣べ伝えるために来た」と言われたのです。イエス様は「私は死ぬために来た」とは一言も言っていません。そして弟子たちに「行って、神の国を宣べ伝えよ」と命じておられます。

だからこそ原理の価値が現れるのです。原理はイエス様が地上でやり遂げたかったことを明確に教えてくれるのです。神学校や学習、牧師の説教で学ぶことのできない内容です。聖句の深い内容を原理が明らかにしてくれます。イエス様の使命を教えてくれるのです。

ルカ9章のこの部分は「イエス様に従うことの代価」と呼ばれる部分です。ここでも2度、神の国に言及されています。ここまでイエスに従うという人は多く現れたのです。しかしイエス様についていくためには支払うべきコストがあります。

イエス様は既に地上に送られた目的を果たそうとしておられました。だからこそ他の人にもそうするように呼び掛けたのです。天国を証するということを。だから町から町、村から村をめぐっては天国についての福音を宣べ伝えられたのでした。そこにある人が現れて「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」と言います。それにイエス様は「私には枕する所がない」といいます。「私(イエス様)に従うということの意味が分かっていない、あなたも休む場所などなくなるのだ。私は休む場所がない。もちろん皆私の下で平安を得ることはできるが、私自身は休まない」というのです。休むことなく進み続けるというのです。誰かを思い出しませんか。一緒におられた方を。この青年はイエス様についていくことが、楽しくて快適でおもしろく、どこに行ってもワクワクするようなものだと思い込んでいたのでしょう。

しかし聖書の約束は、その者は迫害され、あなどられ、憎まれ、蔑まれるとあります。それを楽しいと思える人には楽しいでしょう。しかしドーパミンが噴出するような高揚感を求めるなら、イエス様と一緒にいる限りは、そのような麻薬的快感を味わうことはできません。

神様といる限り戦いがあります。イエス様には戦うべき戦(いくさ)があるのです。天国を宣布し建設する戦いです。それは戦争です。なぜならそこに既に(イエスという)公国と権力が存在するからです。

また別の者にイエス様は「わたしに従ってきなさい」と言います。「まず、父を葬りに行かせてください」と答えるその人に「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。」と言われます。当時のユダヤ社会でこのようなことを口にすることがどれほど波風を立てるか理解できますか。

韓国文化でもそうです。「母親に向かってそのようなことをどうして言えるのか」と言います。お母様の真実を明かさなければなりません。完全に神聖冒涜、異端だからです。その犯した罪ゆえに、永遠の地獄に行かざるを得ないからです。お母様に警告しなければなりません。愛しているからです。永遠の魂を思うからです。霊界では天国に行って欲しいからです。

いろいろ言っても最終的には本人の判断です。私がこのように真実を明かして家庭連合を壊そうとしているのは、もちろん詐欺グループであり、搾取とクーデターの組織であることが第一の理由ですが、それが最大の理由ではありません。最大の理由は多くの人々を神様から引き離し監獄に向かわせているからです。地獄に導いているからです。ですからほんの少しでも愛のある人なら、火の手の上がった家を見れば教えてあげませんか。必死に、火事だ!逃げろ!と叫ぶでしょう。上品に「どうか家から出てきて下さい」と話している場合ですか!私なら叫びます。「家が火事だ!逃げろ!」もっと紳士的に話せ、ですって?今夜、丸焼きになってもいいのですか。「家から逃げろ!」

死人は死人に任せておけ。ユダヤ社会は韓国社会同様にしきたりを重んじます。とくに儒教社会ではそうです。皆さんご承知のように韓国は儒教文化です。式典で私は王冠をかぶってローブをまとったまま敬拝をしましたが、これは儒教的には違反事項です。人間の作った法を破ったというわけです。本来ならローブもつけず、ただ息子として敬拝しなければならないというのです。それが儒教の教えです。しかし私たちの立場は異なります。私は息子であるだけでなく、。お父様が王権を継承させた者です。ですから私の全人格を私の王様の前に服従させるべきなのです。これが将来のすべての王の伝統になるのです。その王冠もすべて、真のお父様に敬拝すべきなのです。世代を通じて必ずそうあらねばならないのです。もし私が韓国風儒教文化にしたがっていれば混乱は免れません。人々はそれぞれの王を偶像として崇拝するようになるでしょう。王が神になるかも知れません。王が王の王になるかも知れないのです。今後すべての王も真の父母を継ぐ者も、真の父母、真のお父様に敬拝し続けなければなりません。

それが韓国儒教文化ではタブーだというのです。自分の父親の葬儀は自分がするというのは世界のあらゆる文化で行われていることです。しかしイエス様は「死人を葬るのは、死人にまかせなさい」と言われるのです。葬儀に出て死んだ父親、あるいは親戚が救われることはありません。今はキリストがいるのです。人々の魂を救うためにはキリストとともにいてその働き人として働くことではないですか。実際は私が救うのではありません。救い主につなげるのです。もはやしきたりはどうでもいいのです。「摂理は組織や建物ではなく、キリストという人間を通して動く」と国進兄さんは言いました。

この人は「しかし社会のしきたりでは先にこれを済まさないと」と言います。イエス様は「死人に死人を救うことはできない」と言いました。「死人を救えるのは私だけだ」と言われるのです。だから私と共に歩み、神の国を宣布しなさいと。

普通私たちには(原始)キリスト教は秘密結社のような地下組織だったようなイメージがあります。しかしイエス様のこの初期の言葉を見て下さい。「行って神の国を告げひろめなさい」。あなたがたはあなどられ、さげすまれるかもしれないが世界に出ていき、神の国を宣布しなさいと言われたのです。私を愛するなら御国を宣べ伝えよと。

またある人が来て「まず家の者に別れを言いに行かせてください」と言います。ここに蘇生、長成、完成の三段階を見ることができます。まず「私がついていきます」という個人のレベル、次に「父を葬らせて下さい」という段階を経て、家庭レベルにあがっていきます。これに対してイエス様は「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」と言われます。「すき」をひとたび握れば、前を向いて注意しないと傾いてしまいます。牛が鍬を引いていくのですから、すきに手をかけてうしろを見る者は神の国にふさわしくないというのです。ひとたび責任を受け入れるなら振り向いてはいけないというのです。それをすると安定を失って王国を失うということです。畑を損ないます。イエス様に従うには代価がかかります。

現代にはあらゆる代価を払わないという人がいます。結婚のための代価も子供を持つ代価、人間関係の代価も払いたくないというのです。どのような世界に住むというのでしょうか。子供のまま大人になった者たちです。まるで幻想の中に暮らす子供です。人生のすべてに犠牲はつきものです。善行をするにもコストがかかります。ボクサーになるにもバスケットボール選手になるにも代価はあるというのです。医者になるにも山に登るにもコストはあります。腕立て伏せをするにも!キリストに従う決断をした人は後ろを振り返るべきでありません。キリストと共に動き共に戦い、ともに「すき」をもって進むのです。

キリストは私には御国が必要だ、行って御国を宣べ伝えなさいと宣布します。私たちは国家レベルで神の国について研究してきました。イエス様が「御国」というのは現実の神の王国を指しています。黙示録にも再臨して千年王国を打ち建てるとあります。現実の地上天国です。たとえ話ではありません。神様が統治される王国です。

国家レベルで見ることもできます。主権国家です。将来、艱難の時代が来るでしょう。ありとあらゆる、金融、政治の中央集権システムは崩壊します。そのとき人々は神様を求め、神様を中心とする人権を求めていくことでしょう。神中心の統治です。将来そのような国々が立ち上がります。「主よ、われらの業はあなたと共に働くことです」という国々です。

ところでイエス様はそのような国にも警告を与えられています。それは「キリストと共に歩むとき、十分な用心が必要だ」というものです。「私は休まない」と仰っています。警戒が必要です。こういう言い回しがあるでしょう。「自由は愛国者の血をその代価に支払う」よくよく用心しなければ自由と責任は、今のアメリカのように失われてしまいます。自由が取り去られるというのです。なぜなら人は天使長の嘘を信じ始めるからです。

今私がよく聞くクリスチャン・ラッパーのテダシ(tedashii)が思い浮かびました。彼は最高です。後で検索してください。フットボールの選手のようなごつい人です。彼のラップはいいですね。あとで少しダウンロードして練習してみますか。テダシもこのテーマで歌っています。

立ち向かっていかなければ、神の国に向けて闘わなければ、世界を引き渡してしまう。福音を宣べ伝え、キリストを宣べ伝えなければ、キリストにある我々の位置を知らなければ…という問題です。

イエス様は国家レベルではこう言っています。「この道を進むには警戒が必要だ。」

天一国憲法が公布され、国ができ、政府がGDPの10%を超えることが違法とされ、国民は「王」のような権利を持つので税をかけることができない―という環境がたとえ準備されたとしても、聖書は黙示録の中で、1000年王国の終わりにサタンが復活することを予言しています。天国が打ち建てられても1000年後、サタンがまた復活して王国を破壊しようとするというのです。天一国が確立し偉大な自由と責任が機能し始めて、人々は神様の栄光を讃美し神と共に生活するようになったとしても、破壊の危機を迎えるというのです。サタンとその一味が王国の破壊を試みるというのです。

イエス様は「私を愛する者は私の命(めい)に従う。」といいました。キリストは私たちに救いを与えて下さいます。そして私たちはキリストを愛するのでその命に感謝して従います。感謝祭にはその業を讃え感謝するのです。

しかしキリストと共に歩むとき最大の警戒が必要です。キリストには枕するところがないからです。天一国の王、王妃としても将来にわたって十分警戒しなければならないのです。

家庭での夫婦がその出発点です。天一国の王と王妃、サタンはそこをまず攻撃してくるからです。用心しなければならないというのです。サタンが王国の破壊を狙っていると知らなければなりません。サタンは独立した王が集まりそれぞれが王権を持ち、主権と王国を守る権利を持つような国を好みません。皆が国の奴隷となるような国家を好むのです。

ここにいる日本の若者たちと素晴らしい対話を重ねました。先に帰った中高生もそうです。(彼らに語り掛けて)その内容を討論しましたね(訳注:下線部は日本語で話された)。大学生のグループです。年齢の割にとてもしっかりしていることに驚きました。彼らに拍手を送ってください。(拍手)非常に感銘を受けました。でも完璧じゃないですからね。誤解しないで下さい(笑)。褒める時は注意しないとね。この一週間彼らと話をして非常に恵みを受けました。

お父様に任命されてCARP世界会長もしていたこともあって、天正宮にいた頃も多くの国の青年達と出会い、話をしてきました。青年連合その他の大きな集会で話しもしてきました。しかし何かもどかしさを拭い去ることはできませんでした。会場満杯の人ですから仕方はないのですが、「本物のつながり」を感じることができずにいました。ここに来れたことは恵みであったとしみじみ妻とも話しています。

かつては4万人の若者を前に同じような内容を話していました。しかし今思えば虚(むな)しいものでした。本当の関係性です。これは神様の恵みであり贈り物です。だからここに来て、生の人間と本当の関係を築けるということがどれほど素晴らしいかというのです。これらの青年から強い印象を受けました。

色々な訓練をし、一緒にレスリングもしました。首を絞めたり…(笑)。平和警察の訓練。ブラジル柔術、レスリング、総合格闘技など、これらは実は平和警察のための訓練だったのです。人が変わるのを見ました。私の妻がそうです。韓国式に床で暮らしているのですが、誰かがノックすると、彼女はうしろ向きに転がりながらドアのところまで行くのです(笑)。天一国の王妃が後転しながらドアにいくというのです。柔術の回転です。

私の息子たちもここに来た頃は典型的なゲームおたくでゲームに夢中の子供たちでした。本当にゲームばかりしていたのです。バーチャル世界に住む、痩せぎすで何をするのも怖がる子供でした。それがここでレスリング、アメリカンフットボール、ブラジル柔術をやりだしました。フランシスコと練習してパンチをもらっても子供たちは逆に喜んでいます。まったく別人になりました。

同じことが(日本から来た)若者たちにも起こりました。最初はめそめそしていた女の子が最後には格闘好きになりました(笑)。全く別人になったようです。この子たちはお行儀がいいので、そこまでしなくてもいいのです。でもたまにスーパーサイヤ人にでもなったつもりの若者がいます。そのような時、彼を呼んで一番弱いメンバーと試合をさせます。すると絞め技で負けてしまいます。現実をチェックするには絶好の機会です。今週はある高校生が来ました。彼も自分を何かスーパーマンか、(ドラゴンボールの)スーパーサイヤ人か何かと勘違いしていました。この可哀想な男の子の目を覚ましてあげようと女の子と対戦させました。最初は周りの女の子たちも「強そうだ」という目で見ていたのですが、小さい子供にぼこぼこにされ、女の子にぼこぼこにされるのを見てギャラリーは口を開けたまま呆然としていました。出す言葉もないのです。最初は幻想を抱いていた若者も自分の現実の姿に直面しました。スーパーサイヤ人も試合をするうちに現実を知ったというわけです。こうしたことは必要なことです。現実の姿を知ることができます。神の王国も幻想の世界に存在するのではなく、現実世界に存在するものなのです。天一国憲法はファンタジーの国ではなく現実の国を想定しているのです。お父様が語られた平和警察、平和軍の意味が今わかります。

日本の青年たちは生まれて初めて銃を撃ちました。銃器について学び、その安全な扱い方を学びました。万物を主管するのです。天使長に万物の方が人間よりも力あると言わせてはいけません。日本では違法なので、このようなことをするなど夢にも思わなかったというのです。

皆が銃を持てるようになるとどうなると思うかという私の質問に、ある青年は「もしみんなが銃を持てるとしたら、殺人や犯罪が増えると思います」と答えました。私はそれに対して「いやー見事に模範的な(国家の)奴隷ですね。」といいました。「洗脳者の思い通りになっています」。現実はどうでしょうか。統計では住民に銃所持を許している都市の方がそうでない都市よりも犯罪発生率が低いという結果が出ています。比べものになりません。LA(ロサンゼルス)やNY(ニューヨーク)、シカゴなどではまともな住民は銃を持てず、犯罪者が銃を持っています。このように具体的、科学的、統計的に物事は見なければなりません。現実を見るのです。脳死状態でファンタジーの世界に生きるのではなく、現実世界に生きるのです。普通の市民が自衛のために武装できれば犯罪者もひるむというのです。下手をすると殺されてしまいますから。

若者たちはこうしたトレーニングを経て現実感覚を養いました。王国は現実の王国です。空想の中の王国ではありません。格闘技などを訓練する一つの理由は、これが王国建設につながるからです。現実に向き合い、恐怖に向き合う。そしてそれを克服していくことで自力では到達できない、より高みに登ることができるのです。

彼らは、今は白帯ですが、訓練すれば一年かそこらで青帯に昇級するでしょう。青帯をとってやめたければ青帯をとった後に私にそう言ってください。練習もきついですから。しかしそのように訓練する、自己の現実、また恐怖と向き合い、あらゆる方向から受けるプレッシャーを受け止めることで神様が与えて下さった潜在能力を目覚めさせることができます。それは自身の栄光ではなく神様の栄光です。

人は弱いので途中でやめて諦めてしまいます。それが普通です。自分で強いと思い込んでいてもそうでない現実に直面するのです。誰が精神的に強いか、トレーニングしていればわかります。そうでしょう?

天国は現実的にやってくるのです。ここでのトレーニングに参加した皆さんにはわかるでしょう。だから私たちは恐怖を見せ、弱さを認識させることで現実に即した物の見方を養うのです。初めて格闘技をした女の子は最初恐ろしかったでしょう。手加減はしました。しかしその体験が皆さんの中に神様によって潜められたものを目覚めさせます。この世はそれに触れるなと言います。恐れていては一生それに気づくことはないのです。だから模範的な奴隷だというのです。神様に与えられたものをすべて解放しなければなりません。キリストを通すならすべてを成すことができるのです。

神様に与えられたものもキリストからきたものと言えませんか?キリストの権能と権威の内に強く立つとき、神の国に相応しい者となります。若者たちと議論したことの一つは「王の心構え」でした。日本には天皇がおられます。また彼らの一人に「お金とは何か」と質問しました。紙幣や銀行口座に入っているものですと答えました。紙幣がお金の本質ではありません。それは国家が「奴隷」に思い込ませた内容です。イギリスでも日本でも王室はそのようなことを信じていません。全くの嘘だというのです。嘘を信じているのです。模範的奴隷だからそれを信じているのです。「王の心構え」を持たなければなりません。天皇家は紙幣のお金を集めると思いますか。天皇は紙幣を集めたりはしません。口座にいくらあるか気にしたりしません。金、銀や土地を所有するというのです。あるいは人間関係も資産です。環境保護ゾーンを知っていますか。そこも国が所有しているのです。イエス様は「宝は天に積みなさい」と言われました。キリストにある私たちの宝は最大の宝物です。一方で天国が実体でもたらされるとするならば勝利しなければなりません。

王国また王の心構えは何でしょう。紙幣を集めることですか。違います。王国は紙幣で築くことはできません。またエリートのさじ加減で左右される銀行口座の預金でもありません。

また日本の青年に「日本で皆さんは自由ですか」と質問しました。(一人を指さして)あなたに尋ねましたね。あなたは「自由です」と答えました。

また日本のヤクザと天使長についても話しました。お金を誰かに払って自分を守ってもらう。その相手がヤクザであろうと国家であろうと違いありません。しかし王様は税金を支払うことはしません。しかし税金を納めることが普通に思われています。サタンがそうさせているのです。サタン世界ですから。

そんな国はありえないと思っていませんか。実はかつてのアメリカはそうであったのです。所得税も固定資産税もありません。すべて修正条項によってもたらされた罪です。かつて現実に存在していたのです。そして偉大な豊かさと自由と責任を享受することができたのです。奴隷制を除いて地上天国に最も近い国でした。

どうしてあなたたちの先生や教授は真の富について教えてくれないのでしょうか。豊かになるにはソニーや三菱のような大企業で働くようにというのでしょうか。嘘を言っています。若い時から「王の心構え」について学ばなければなりません。偽りの富ではなく本物の富を学ぶ。それは父から学ぶのです。

国民を奴隷にしておくために、紙幣や預金が「お金」のすべてだと思わせるように彼らは嘘をいいます。その一方で自分たちは金、銀、土地などを蓄えているのです。ここが問題です。天一国では祝福がどこから来るのか知っておくことが大切です。私たちの権利は神様からもたらされると同時に、肉的救いはこの「王の心構え」を知ることを通じてくるのです。「奴隷の心構え」ではありません。サタンの奴隷であることをやめなければなりません。

再臨主が来られて肉的救いが与えられてどうしますか。サタンが王である王国から去るというのです。

サタンという王から離れますが、私たちは王の王に接ぎ木され、その血統につながり王国を継ぐのです。だから、血統は直接王国につながっているということです。王国は血統に連結されています。血統がないところに王国はありません。王の種から来るのです。

日本でも「王の心掛け」というものなど聞くことはありません。真の富などと共に教えられないのです。奴隷にしておくことを望む者から嘘だけを聞かされてきたのです。それは王の王の血統につながる者に相応しくありません。「奴隷の精神」を離れ、「王または王妃の精神」に帰るのです。神様は血統を通して王国を与えて下さいました。その王国を通して霊肉共の救いを得ることができるのです。

話をすべきことはあまりにも多いのです。ルカ9章で見せたようにキリストと共に歩むことを第一に考えて下さい。非常に大切なことです。しかしキリストと共に歩むことには代価を支払わなければなりません。しかし大きな恵みがともないます。霊界の天国ばかりでなく地上天国においてもそうです。ついに自由と責任の国に住むことになるからです。サタンとサタンの王国からの自由です。聖書の預言のとおり、サタンは王の王の足の下に踏み砕かれることでしょう。そしてサタンは人間の僕となるのです。

天聖経205(英語版)  皆さんの願いとは何ですか。天国の人とか、天国の子女になりたいのです。 それが願いでしよう? 天国の民、天国の子女にさえなれば、天国は自然に生まれるのです。

いいですか皆さん。私たちは血統を変えなければなりません。そしてその心構え、精神も変えなければならないのです。もはや奴隷ではありません。奴隷根性は捨てるのです。そして王国の精神、王の心構えを持つのです。そうしなければなりません。アーメン。アージュ。

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